東日本大震災。経験して得たもの。

自由記事

朝から畑にある野菜などに殺菌、殺虫の消毒を一生懸命やったが、2時間後には雨が降って

テンションが下がっていた(雨が降ると消毒した液体が流れてしまう為無駄になるから。。。)

温泉旅館いこい荘ブログ管理人のミツです!

今日はいつもの内容とは大分変わりますが過去の経験談をしたいと思います。

2011年3月11日 東日本大震災

その日もいつもと変わらず一人暮らしの家を出て会社に向かう。

会社に到着しいつも通りの業務をこなす。

毎日、仕事をしてそれからチーム内での練習(バドミントン)をしていたので

疲れて眠いな~と感じでいました。。。。

昼食を済ませ午後からも頑張ろう~と思い気合を入れていた。

そして、時刻は14時43分

1階に荷物が届いたので取りに行こうとエレベーターを使い7階にいる私の事務所から降りて行った。

その直後だった。

物凄い揺れが襲ってきた!!

立ってるのも大変なくらい。。壁には見たこともないくらいの亀裂が何本も走っている。。

とにかく外へ出よう!!そう思って玄関に行くと。

ガシャーン!!!

上から窓ガラスが落ちてきた。。。

あと少し外へ早く出てたらどうなってたか。

そうこうしているうちに上司、社員の方たちが非常階段から降りてきた。

なんとか外へ出ることができた!

ライフラインの停止

家に帰ると部屋の中がめちゃくちゃに荒れていた。電気、ガス、水道、全てが止まっていた。

電気が止まるという事は街灯もつかなければ信号もつかない。

全てが暗闇だった。

ガスが止まればお湯も出ないから風呂も入れない。

水道が止まれば水も飲めない、トイレも流せない。。

さらに3月の寒さもかなりキツイ。。

車の暖房を使いしばらくしのいでいたがガソリンもなくなりつける事もできなくなった。

そして、3日間ほど避難所へ行った。暖かいけど

正直居心地が悪く3日で寒い自分のアパートに帰った。

1週間後、水道、電気が戻った。

その後、余震が何度も続き不安な毎日を過ごしていたが

ライフラインが復活したので徐々にいつもの日常を取り戻すことができた。

地震発生当時は携帯の電波も圏外だったので宮城県がどんな状態になっているのかも分からなかった。

経験して得たもの

普段何気なく使っている電気、水道、ガス、食料などが当たり前にある世の中だけど震災を経験して

考え方が変わった。使えることにもっと感謝しないと。

いつもの平凡な日常も当たり前じゃないんだよと感じた。

両親、兄弟、じいいちゃん、ばあちゃんがいるのなら一緒にいる

時間を大事にしなきゃいけないし無駄にしたらダメ。。。。

最後に

今回、なぜこの時期にこのテーマにしたかというと先ほども記載したけど

自分も家族がいて大切な人たちがいつ亡くなるか分からない。

そして、当たり前に使えている物を改めて大事にする気持ちが大事だと思ったから。

震災から9年が経つけど未だにあの記憶が鮮明に残っている。。

恐ろしい話ではあるが東日本大震災の次の日、3月12日に気仙沼へバドミントンの講習会に行く予定だった。

気仙沼といえば震災の被災状況が凄かった所。もし1日早く行っていたら。。。

と思うとゾッとする。。。。

なので1日1日を大事に生きましょう)^o^(

おしまい

今日も1日お疲れ様でした!

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元気にシャキっと!!
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快適な朝へ!
【あさシャキ】
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